東夷 壁紙 の画像検索結果![]() 画像の検索結果
|
東夷 に関連する本・DVD
東夷 に関連する記事
|
関連記事の検索結果
|
夷(い、えびす)あるいは東夷(とうい)は、四夷の一つ。
本来は、古代中国の中華思想において、東方の異民族を呼んだ蔑称である。後に日本でも、日本自体を「中国」とみなす思想が取り入れられ、この文脈において蝦夷のことを指して「夷」と呼んだ。
| 目次 |
中国での用法
黄河流域では、ほかの地域に先んじて文明が発達した。黄河文明の担い手であった漢民族は、周辺の諸民族を文化的に劣ったものとして見下した。漢民族は、自らを「華夏」と呼び、周辺の諸民族を「東夷」「北狄」「西戎」「南蛮」と呼んで侮蔑した。
殷代に東夷と呼ばれた人々は、現在の江蘇省・山東省にあたる沿岸地域に住んでいた人々のことであると考えられている。しかし周代に至り、斉や魯といった漢民族系の国が山東半島に建国されるとともに、これらの東夷と呼ばれた人々は漢民族に同化された。
後に、三韓や倭といった民族が東方にあることが知られるようになると、彼らもまた東夷と呼ばれることとなり、『後漢書』などの史書の「東夷伝」に記載されるようになった。なお「扶桑」は、『淮南子』や『梁書』の「東夷伝」に見られる蔑称であるが、これも必ずしも日本を指したものではない。
日本での用法
日本は、中国中心の中華思想に基づけば、東方にある異民族なので、東夷とされる。しかし、中国の文物を導入しつつも、独自の文化を築き上げた日本人にとっては、劣っている異民族としての意味ももつ東夷という蔑称は耐え難いものがあった。この耐え難さを解消するために、日本ではさまざまな試みが行われた。
自己中心化
元来の中華思想における世界の中心(=華夏)とは、黄河流域を中心とする漢民族の居住地域であった。しかし、日本を華夏として考えれば、日本が東夷である必要はなくなる。逆に黄河流域を中心とする漢民族の居住地域やそこにすむ人々は、西蕃ということになる。また、関東地方・東北地方あるいは現在の北海道に住む人々は、日本(畿内)よりさらに東にあるとして、東夷とも呼ばれるようになった。
東の優位性の主張
中華思想に基づく、異民族の呼称には、夷のほかにも、蛮や狄といったものがある。字面を見ればよくわかるように、蛮は虫がついており、狄はけものへんになっているなど、異民族は動物扱いされ、真っ当な人間ではないとされている。しかし、夷という字にはそういうものがなく、そこに東の優位性を見出そうという考えが生まれた。
『論語』には、子欲居九夷(孔子は、九夷の住むところに住もうとした)と書かれており、聖人とされる孔子の言葉からも、東の優位性を見出そうと努力がなされた。
現在の用例
近畿地方では、特に東京または東京人に対する蔑称として「東夷(あずまえびす)」を用いる事がある。これには明治以降、また戦後急激に進んだ東京への一極集中のなか、東京以外の地方(近畿も含まれる)を見下し無視する態度を取るようになった一部の東京人を非難するニュアンスが込められている。
しかし近畿地方(畿内)においては古くから関東地方の武士を坂東武者と呼び雅を知らぬ野蛮人として見下していたり、畿内から見て関所よりも東の地域、即ち未開の地というニュアンスが込められて関東と言う呼び名が使われていたりと古代から近代に至るまで近畿地方においては東国を軽蔑するような言葉が多く存在する。東夷という言葉も一部の東京人ではなく関東地方の住人全般を見下すニュアンスが多分に込められているとも言う。
なお「(東夷が)今なお東日本全般を指す」とする意見も見られるが、少なくとも現在の近畿地方ではそういう用法ではない。あくまでも、東京から発された中央集権的言動への批判・反発の意味で使われる。「東夷」自体が中央集権思想に基づく言葉だが、この用例では単に「東」という方向がキーワードとなっている。単に「東(あずま)」とも称するのは、その現れ(用例:「東下り あずまくだり」東京へ行くこと。いわゆる「上京」)。但し、上記の事は一般論であって京都人の中には現在も親しい間柄同士では東夷と言う呼び名で関東全般を見下す場合がある。
一方、古代から近世まで政治的にも地理的にも日本列島の中央である京都において、京都人が東京を含めた他の地方を見下すような態度に対し揶揄して、中華思想ならぬ「中京思想」と言う事もある。




