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出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

しかし1970年代に入ると、環境面を整備した他チームの台頭や主力選手の引退[10]、親会社である東洋工業の業績不振[11]、広島サッカー界の地盤沈下[12][13]などの要因により、実力が徐々に低下していった。

には黄金期の中心選手だった小城が監督に就任。古田篤良渡辺由一安原真一らの活躍で、同年のリーグ戦では一時優勝争いに加わるものの最終的にリーグ戦4位、翌には天皇杯準優勝(0-1対三菱重工(現・浦和レッドダイヤモンズ))など一時的に建て直しに成功した。

しかし、大卒の即戦力選手獲得には東洋工業の経営不振から後手に回り[14]世代交代が進まず[15]、また同時期に初の外国人選手である宗像マルコス望を加入させたものの、これ以降外国人選手補強にも消極的な姿勢を見せた事[16]で、1980年代に入ると問題は深刻化[17]する事になる。

1980年代

、マツダスポーツクラブ(マツダSC)に名称変更。同年、黄金期の選手の一人であった二村昭雄が監督に就任するが低迷を阻止する事は出来ず、翌一度目の2部降格をする事になった。

そこでに今西和男が総監督に就任し、古豪を復活させるべく改革に乗り出す。それまで日本人選手や日系人選手のみで構成された純血主義の伝統を打ち破り、オランダからハンス・オフト(後のマツダSC監督)をコーチ[18][19]に、ディド・ハーフナーGKコーチ(選手兼任)に招聘。また、大卒の即戦力選手の獲得が思うように成らなかった[20]過去の経験から、2軍であるマツダSC東洋を強化し、高卒選手育成に努めた。

オフトの下で組織的に訓練されたチームはにJSL1部昇格、天皇杯ベスト4進出。翌、マツダサッカー部に名称変更、昇格初年度のJSL1部で7位と健闘。にはオフト監督のもと、信藤克義(信藤健仁)・猿沢茂高橋真一郎ら地元選手の奮闘もあり、天皇杯準優勝(0-2対読売クラブ(現・東京ヴェルディ))するが、リーグ戦では不振が続き二度目の2部降格となった。

その後、に当時、ブンデスリーガ2部でプレーしていた元日本代表の風間八宏を獲得。マツダSC東洋で育成した選手達の成長もあってにJSL1部復帰。日本リーグ最後の年となった1991-1992シーズンはフジタ(現湘南ベルマーレ)から移籍加入した高木琢也の活躍もあり、6位で面目を保った。

略歴

JSL成績

カテゴリ順位勝点得点失点JSLカップ天皇杯監督
JSLbgcolor=gold-bgcolor=gold下村幸男
JSLbgcolor=gold準優勝
JSLbgcolor=gold優勝
1968bgcolor=gold優勝21101331111回戦敗退
JSLbgcolor=silver優勝
JSLbgcolor=gold準優勝
大橋謙三
1972JSL1部3位167252013ベスト4
1973JSL1部8位144681628?ベスト4
-ベスト4
1975JSL1部8位1244102029ベスト16
1976JSL1部8位155581620ベスト16ベスト16松本育夫
小城得達
準優勝
1979JSL1部6位3354PK勝 5PK敗420191回戦敗退ベスト16
1980JSL1部7位156392226ベスト16ベスト16
二村昭雄
1982JSL1部8位1454914242回戦敗退ベスト16
1983JSL1部10位12521115312回戦敗退ベスト16
今西和男
1985JSL2部・西_125231410rowspan="2"ベスト4
2位113521310
1986-87JSL1部7位23611517171回戦敗退2回戦敗退
準優勝ハンス・オフト
rowspan="2"ベスト16rowspan="2"今西和男
JSL2部・上位5位14545169
1989-90JSL2部3位67207362202回戦敗退ベスト16
1990-91bgcolor=silver2位7424247617ベスト162回戦敗退
1991-92JSL1部6位277693023ベスト42回戦敗退今西和男(総監督)

国際試合

開催年月日大会名対戦相手開催スタジアムスコア勝敗
69年1月15日アジアクラブ選手権1969グループBリーグ マッカビ・テルアビブFC2-3敗北
69年1月17日アジアクラブ選手権1969グループBリーグ ピルズィ・テヘラン1-0勝利
69年1月21日アジアクラブ選手権1969グループBリーグ 九龍バス1-0勝利
69年1月24日アジアクラブ選手権1969グループBリーグ ペラFA1-0勝利
69年1月28日アジアクラブ選手権1969準決勝 ヤンジーFC0-2敗北
69年1月30日アジアクラブ選手権1969・3位決定戦 マイソール州選抜2-0勝利

主なタイトル

チーム

個人

歴代監督

初期の山崎と小畑は選手兼任で監督を行っていたが、小畑は途中から監督専業となっている。1970年代の大橋と松本は年代別代表監督と兼務で行っており、その後大橋は東洋工業、松本は年代別代表の監督専任となった。初めての外国籍スタッフは、1983年夏の中断時期に短期来日したクラウツン。以降も外国籍スタッフが入っていたが、そのうち正式に監督職となったのはオフトのみ。

名前国籍任期主なタイトル備考
山崎芳樹1938 - 19501943年から1946年まで休部
小畑実1951 - 1963全日本実業団:1956・1962
国体:1962
下村幸男1964 - 1970JSL:1965・1966・1967・1968・1970
天皇杯:1965・1967・1969
1969アジアクラブ選手権出場
大橋謙三1971 - 19751971年日本代表ユース監督と兼務
松本育夫19761976年日本代表ユース監督と兼務
小城得達1977 - 1980
二村昭雄1981 - 1983クラウツンコーチ1983年8月から9月
今西和男1984 - 1987オフトコーチ1984年から1987年
ハンス・オフト1987 - 1988
今西和男1988 - 1992ビルコーチ1988年から1991年

歴代選手

所属全選手ではなく、名前のわかっているものを記載している。Category:東洋工業サッカー部の選手も参照。太字国際Aマッチ出場選手。備考欄の「○」はJFA 公認S級コーチライセンス取得者。 ポジション欄の意味は以下の通り。

名前国籍ポジション在籍試合数備考
山崎芳樹1938 - 1950監督兼任
銭村健次FW1948 -
小畑実FW1949 -一時監督兼任
芳野統男FB-
下村幸男GK1952 - 1961メルボルンオリンピック出場
樽谷明FW1953 -
重松良典FW1954 -
小沢通宏HB、FB1955 - 1967メルボルンオリンピック出場
1962年フットボーラーオブザイヤー
北島秀夫HB1955 -
田中雍和FW-
大橋謙三HB- 1967田辺製薬から移籍
沼野博HB1956 -
石井義信HB1957 - 1968藤和不動産へ移籍
小原勝1957 -
大島治男FW1958 -
桑原弘之FB1960 - 1970
川西武彦FW1961 - 1966
船本幸路GK1961 - 1975
中村勤FW1962 - 1966早稲田大学へ進学
丹羽洋介FB1963 - 1971
今西和男FB、HB1963 - 1969
岡光龍三FW1963 - 1970
松本育夫FW1964 - 1971○メキシコシティオリンピック出場
桑田隆幸FW、HB1965 - 1969
小城得達FW、HB、FB1965 - 1976メキシコシティオリンピック出場
1965・1970年フットボーラーオブザイヤー
桑原楽之FW1965 - 1972メキシコシティオリンピック出場
二村昭雄HB1966 -
吉田浩HB1966 -
大野毅FB1967 -
国枝強FB1967 -
谷本圀之FW、HB1968 -
川野淳次HB、FB1968 - 1976
佐伯一彦HB1968 -
小滝強FB、CB1968 -
小原秀男FW、HB、FB1969 - 1981
小滝春男FB、SB1971 - 1981
高田豊治HB、CB1971 - 1978
堀口照幸HB1971 - 1977
安原真一FW1971 - 1981
宮崎輝比呂HB- 1981
古田篤良HB、CB1975 - 1984
野曽原芳彦GK1975 -
渡辺由一HB1977 -
山出実FW- 1982
中野重富FW- 1984
河内勝幸HB1978 -
宗像マルコス望1980 - 1982
高橋真一郎FW1980 - 1992
中村重和SB、MF1981 - 1989
猿沢茂FW、MF1982 - 1991
小林伸二FW1983 - 1990
今川正浩FW1983 -
木村孝洋MF1983 - 1988
信藤健仁CB1983 - 1990○旧名・克義、三菱に移籍
上原洋史MF1983 -
山田隆SB1983 -
松田浩CB1984 - 1992
望月一頼GK1984 - 1988
佐藤康之SB、CB1984 - 1992
織田秀和MF1984 -
ディド・ハーフナーGK1986 - 1988○読売へ移籍
島卓視FW1986 - 1992
横内昭展MF1986 - 1992
前川和也GK1986 - 1992
山西博文SB、CB1986 - 1992
クレック・ノーリーFW1987 - 1988
ロン・ヤンスMF1987 - 1988
崔景植CB1987 - 1988
森保一MF1987 - 1992
河村孝FW、MF1987 - 1991横浜フリューゲルスに移籍
幸田将和MF、SB1988 - 1992
和泉茂徳SB、CB1988 - 1992マツダSC東洋のみ
イアン・グリフィスFW1989 - 1990
デヴィッド・ホジソンMF1989 - 1990
アラン・アーバインFW1989 - 1990
トニー・ヘンリーSB、MF1989 - 1991
風間八宏MF1989 - 1992
平田英治FW1989 - 1992
河野和正GK1989 - 1992マツダSC東洋のみ
片野坂知宏SB1990 - 1992○マツダSC東洋のみ
月岡利明SB1990 - 1992マツダSC東洋のみ
ダニエル・カリッチマンCB1991 - 1992
ユリウス・ベーリックCB1991 - 1992
ユーリー・カビルMF1991 - 1992
上野展裕MF1991 - 1992○全日空から移籍
吉田安孝CB1991 - 1992田辺製薬から移籍
亀田明広FW1991 - 1992NTT関東から移籍、浦和レッドダイヤモンズへ移籍
高木琢也FW1991 - 1992○フジタから移籍
森山佳郎SB1991 - 1992
柳本啓成SB1991 - 1992マツダSC東洋のみ
笛真人FW1991 - 1992マツダSC東洋のみ
森秀昭CB、SB1991 - 1992マツダSC東洋のみ

脚注

関連項目

参考文献

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
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